挑戦する経営者のリーダー論 ~経営者コラム~

挑戦する経営者のリーダー論 ~経営者コラム~

X-TANKコンサルティング 代表取締役社長CEO
伊藤 嘉明 氏

いとう よしあき
1969年、タイ・バンコク生まれ。米コンコーディア大学卒、サンダーバード国際経営大学院ビジネススクールでMBAを取得、タイ企業、日本コカ・コーラで最年少部長、デルでは7期連続赤字部門を6期連続売上目標達成。V字回復し、レノボ米国本社で戦略担当、アディダスジャパンでは20%落ちた売上をリーマンショック時にもかかわらず25%伸ばしV字回復、ソニーピクチャーズ エンターテインメントではマイケル・ジャクソンの『THIS IS IT』を230万枚までヒットさせ世界最優秀リーダーに選抜。ハイアールアジア(現アクア)社長兼CEOとして三洋電機時代から続いた15年連続赤字を就任一年で黒字化。ジャパンディスプレイ常務執行役員兼チーフ・マーケティング・オフィサーとして経営再建に携わる。現在はX-TANKコンサルティングCEO。2015年、日経ビジネスの『次代を創る100人』に選ばれる。著書に『どんな業界でも記録的な成果を出す人の仕事力』(2015年、東洋経済新報社)など。

「日本人よ、覚醒せよ! いまこそVUCA時代に備えよ」

「未踏の時代のリーダー論」(日本能率協会「編」:日本経済新聞出版社 出版より抜粋)

VUCAという言葉に惑わされ、
予測できるものにさえ思考停止に陥ってしまう日本人は多い。
では、VUCA時代への備えとして
経営の意思決定のあり方、そして働き方はどうあるべきか。
これからの日本人のあるべき姿を提示する。

VUCA以前の問題に向き合おう

VUCAという言葉は、二〇〇三~〇四年ごろからアメリカで使われ始めた言葉なのです。この二~三年、やっと日本でも聞かれるようになったのは、二〇一六年の世界経済フォーラム(ダボス会議)で議題にのぼったということもあるでしょう。しかし、私が企業の経営幹部の人たちにお目にかかったときに、この言葉についてお聞きしてみるのですが、約四、五割が言葉は知っているが意味はよくわからないという。そして、本当の意味を知っている人は一、二割いるかどうかなのです。経営者にとって、最も重要なキーワードであることを、冒頭に申し上げたいのです。

ところで、私はタイで生まれ、アメリカの大学院で学び、グローバル企業、日本・韓国企業の経営に携わりました。この経験をもとに、VUCA時代への備えとしての考え方、経営の意思決定の仕方、そして働き方について、これからの日本人のあるべき姿を提示したいと思います。

日本企業の代名詞といえば「決断力がない」「意思決定のスピードが遅い」などとよく言われます。例えば、あるプロジェクトを行うとき、主たる関係者だけ集めて事前会議、そして全員集めて本会議、その後に具体的対策などを検討するフォローアップ会議と、一つのことを決めるのに三回会議が行われるのです。多くの日本企業にとっては、これが普通ではありませんか。もう一つは、稟議。昨今は判子の数が減ったとはいえ、係長、課長、部長、本部長、担当役員、常務、専務と判子は続く。これを私は揶揄して、「スタンプラリーの文化」と言っています。

さて、VUCAとはご存知の通り、四つの単語である、Volatility(変動制)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性)の頭文字を取った単語です。現代の混沌とした経済、社会を指しています。もともと一九九〇年代にアメリカの軍事用語として用いられ、一言で言うなら「予測不能な状態」を意味します。

日本でも経済環境や企業動向、組織のあり方、そして個人のキャリアに至るまでの、すべてを取り巻く環境が複雑さと将来への予測が困難な状況になったために使われ始めたのです。

そこで私が強調したいのは「VUCA」と一概に言っても、予測できるものと、まったく予測できないものがあるということです。この予測可能なものはVUCA0.0と名付け、VUCA時代に備えるべき前提としています。本来、予測不能なものはVUCA1.0。しかし、多くの日本人は、この二つを混同している。「予測不能」という言葉に惑わされ、VUCA0.0レベルのことも事が起こったら対処すればいいと考えている。現実と向き合わずに思考停止になっている状態なのです。

なぜ、こんな話をするかというと、最近「プロの経営者」という言葉を使われるマスコミが多いですが、ではアマチュアの経営者がいるでしょうか。私はプロとしての自覚も裁量もありますし、責任を負ってやっています。一歩譲って、マスコミの意図を咀嚼すれば経営者として渡り歩くことを言いたいのでしょう。こんなところにも、思考停止をしてしまう日本の社会があります。職種、職制、雇用形態にかかわらず、お金という対価をもらっているなら、アルバイトであれ、パートタイマーの身分であれ、働く人は皆プロとしての自覚を持つべきなのです。

では、なぜ思考停止になってしまうのか。その要因はいくつか考えられます。まず、組織内の仕組みが悪いことが挙げられます。人事評価にしても、二段、三段飛びの人事なんてあり得ません。しかし、アメリカやアジアでは普通に行われています。これは刺激的であり、モチベーションに大きく関わってくる。ここを改めない限り、社員らに戦う姿勢は生まれません。それと権威委譲が行われていないこと。これでは上からの指示で動く方がラクなため、当事者意識を持たなくても仕事をやったような気がする。だから、思考停止であっても気にならないのです。

ベースラインを変えるとき

昨今の働き方改革では厚生労働省でさえ、兼業や副業を原則容認と言い出しました。二つの肩書や名刺を持つことは、もはや海外スタンダードとなっています。こうした動きは予測可能なことだったのに、「許可する」「検討中」の企業を入れてもまだ二割にも満たない。その効用は、企業側にとっては柔軟な働き方によって優秀な人材を集めやすい、ブランドイメージも上がります。働く側にとっては、経営者マインドも培われスタートアップ企業が出てくる頻度も上がるし、地域に貢献できる事業が起こせるかもしれない。これに対応しても、所詮VUCA0.0対応でしかないのです。これにも、いまだ着手しないのは、思考停止に陥っていると言わざるを得ない。

もう一面から論じてみましょう。社員の皆が組織や事業のドライバーであり、チェンジエージェントでなければならないのです。私はある会社の経営再建時に社員一〇〇〇人との対話集会をしました。皆、立派な大学を出ており、優秀な頭脳を持っている。しかし、この会社の危機的な状況に対して、当事者意識もなく自発的に考えようともしないし、改革をやり遂げようという気もない。雇われ経営者の私に頼りきっている。執念というものを、まったく感じられませんでした。

多くの日本人が当事者意識があって取り組んでいれば、これだけ社会問題化している過労死が「KAROUSHI」などど、世界に響き渡るわけがない。ここに日本人としての「長いものに巻かれる」ことを、よしとするDNAが潜んでいるのです。

日本人は農耕民族的な発想と行動をとると言われますが、たしかに海外の友人たちとビジネスの話をしていると、彼らの思考パターンと異なると感じるときがある。日本人の多くは雨は神頼み、小作民であれば土地のみならず鍬さえも借りて、夕暮れになれば地主に鍬を返す農耕民族なのです。翻って、いまや隆盛を極めるGAFA(グーグル・アップル・フェイスブック・アマゾン)は狩猟民族(遊牧民)です。では、中国や韓国企業はどうでしょうか。彼らは騎馬民族で機動力があって、動いている獲物をさっと奪う力はものすごい。時代を読む目は聡く、時代をつくり出す。物事を展開していく、テリトリーを広げていく、エクスパンションする力は絶大なんです。ハンターも小作民も到底かなわない。だからこそ、私は日本人に「鍬を捨てろ!」と言いたい。

私は三一歳のときに日本コカ・コーラでマーケッティング部長をやりました。このときに、我々の部門だけは、在宅勤務、コアタイムの導入、PHS使用を勝手に進めたのです。いまでは当たり前に多くの企業が導入していますが、二〇〇一年当時は日本コカ・コーラ内でも我々だけ。HR部門が止めにかかったぐらいでした。しかし、この部門を任された以上、生産性向上を図るのも私の重要な役目だと信じ、動じることなく勝手にやりました。何もやらないより、行動を起こし、よりよい方向へ導く──これが、リーダーの務めだと確信していたからです。一方、何もしない日本人のことを、私は小作人の呪縛と表現します。

グローバルに目を向ければ、日本人は覚醒せざるを得ない。村社会に生きていては、日本人の執念のなさがわからない。これを取り戻すためにも、そろそろベースラインを変えていかなければならないときを迎えました。

舵を切れるのはマネジメントだけ

JDIは二〇一八年七月に企業ビジョンを変えました。これまではセンサーの部品製造という発想しかなかったものを、「私たちの行動一つひとつが、未来をつくっている。思い描いていることを、見・聞き・触れ・香り・味わえる現実に変え、世界のあたり前をはるかに超えた体験をつくり出していく」という文言を入れました。これによって、社員の意識の中にあった「ディスプレイ」という枠組みから、五感というインターフェースを意識させたために、事業ドメインは格段に広がりました。

ご存知のように日本のセンサー関連技術は世界シェアの五割以上を占めるにもかかわらず、このセンサーから得た情報を活用したり、システム全体を構築する力が欠けている。ここを払拭しなければならないと、社員に明確に伝えていきたかったのです。IoT、AIの時代に経営者は業界の常識だけにとらわれず、センシングとテクノロジーの可能性を探らなければならないのです。これは、マネジメントにしか判断できず、かつ舵を切ることができないのです。

では、どうしたら舵を切れる能力が身につくのか。それには「シミュレーション能力」と「反射神経」を鍛えるべきでしょう。常に考えシミュレーションを行っていいると、自分自身の引き出しが増える。反射神経はいざというときに、俊敏な行動へとつなげられる。これこそ、意思決定のスピードも上がっていくものなのです。私の場合は二〇一七年四月にこの会社に来て、八月にはベンチャー企業群との提携を決め、三カ月で商品コンセプトを決めて、年末には新製品コンセプトを発表しました。こうしたスピード感を持って事業を推進し意思決定できるのは、トップに与えられた権利でもある。マネジメント層にしか、組織をあるべき方向へと舵を切ることができないのです。

その舵を切る判断には、経営者が常に異業種他社を見ていることが求められるのです。哲学者ニーチェが「脱皮できな蛇は死ぬ」と言った言葉どおり、IBMはメーカーからサービス業に転換しました。これは大きな選択で、これこそ経営者にしか判断、意思決定ができないことなのです。

あなたの違和感に耳を傾けよ

では、社長はスーパーマンでなくてはならないのか。いえいえ、スーパーマンはそんなにはいません。だからこそ、現場に近いビジネスリーダーがアラートを出さなければならない。幹部に求められる責任は重大です。では、どうあるべきなのか。自らの心の声に向き合うことです。何かに接したとき、違和感を感じたら、それを大事にするとよいのです。

これは私が二〇一七年に上梓した『差異力』(総合法令出版)の中でも指摘していますが、自分が「何がおかしい、変だな」という第六感というのか、動物的勘、突き詰めれば危険察知能力というのか──。この業界の常識だから、という言葉に惑わされずに、その違和感は何だろうと考え抜くことなのです。周囲からも指摘を受けるのですが、「伊藤さんの生まれや、キャリアだからできるのでは?」と言われることもある。もちろん多様な文化に接してきた生い立ちや複数のビジネス経験が、私のベースになっていることは否定しません。ここで申し上げたいのは、自分が受けた違和感は何なのか、その原因を突き詰めていくことが重要なのです。

そして、自分の人生を他人に委ねてはいけない。自分がいまいる会社でやり遂げたい仕事なら、常識にとらわれず、違和感に耳を傾けながら、自分の信じることを為すのです。エスタブリッシュな企業で部長職に就いていいた私の友人らは、いまや早期退職を迫られる大企業の部長クラスで、そこの企業しか知らない四〇代、五〇代になりました。たしかに二〇年前、三〇年前は日本の産業の雄であったかもしれない。だが、いまになってみれば同じ業界を極めること自体が重要な意味を持たなくなったのです。つまり、大企業は思考停止した人間だけが生き残れる究極なエコシステムでもあるのです。

私はビジネスリーダーであって、起業家ではありません。組織が抱える機能障害をいかに取り除くことができるのかを、この違和感を持ってやりきることを得意としています。では、組織の機能障害とは何か。信頼の欠如、論争への恐れ、コミットメントの欠如、説明責任の回避、結果へのこだわりのなさ。先ほども、当事者意識がないビジネスパーソンが多いことを申しあげましたが、まさに、思考停止に陥った日本人の特性であり、組織の機能障害そのものと言えませんか。

これを乗り越えるには、GRITが必要です。Gはguts(度胸)で、Rはresilience(復元力)です。Iはinitiative(自発性)、Tはtenacity(執念)、このうち日本人に足りないのは、IとTの自発性と執念です。おやっと思う方もいるでしょう。日本人の粘り強さはお家芸にも匹敵するというのが一般的ですが、ただ私に言わせると転勤、異動があり、真にその社員のキャリアを考えたものでは決してありません。会社に対して執念を持つよりも、仕事に持つべきでしょう。仕事のスキルに幅を持たせていき、自分自身の価値を維持できるかという視点で考えるべきなのです。これこそ、プロたる者の執念だと思います。

先ほども触れましたが、日本コカ・コーラで部長になったとき、私は上司に「日本ではこんな抜擢人事は受け入れられない」と言いました。当時の直属の上司であったホフマン副社長は「経験や知識、年齢は関係ない。大切なのは姿勢だ」と言ったのです。私は、この言葉に勇気づけられ、全身全霊でやり遂げてやるという気になったものです。ホフマン副社長の「姿勢」という言葉を、私なりに解釈すると、これまでの知識や経験が常識という名の下で、自由な発想を阻害しかねないことだと。自由な発想で、自らコントロールして、やり遂げることが重要であり、これこそ自発性そのものであると認識しました。

この仕事は構造改革担当がやればいい、これはプロの誰かに任せておけば安泰だろう、などと多くの社員は思いがちです。しかし、そのような時代は終わりました。いまの日本企業は危機的状況に陥っているのです。ビジネスリーダーこそ、常に改革に臨むべきでしょう。さぁ、VUCA1.0がやってくる前に、自分のこととして自発的に執念を持ち、やり遂げるときが来たのです。

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