髙橋ゆき 氏
たかはし・ゆき 1969年生まれ。写真家の父と起業家の母の間に生まれた。短大卒業後、IT会社を経て母が経営する出版社に勤務するも、26歳のときにその会社が倒産し、破産処理を引き受けた。95年に香港の商…
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(役職は取材当時、現在・特別顧問)
まつざき・まさとし
1950年東京生まれ。東京工業大学大学院修了後、76年に小西六写真工業(後のコニカ)に入社。主にプリンターや複合機など情報機器の製品開発・商品企画に携わる。2003年、コニカとミノルタの経営統合後、情報機器事業子会社の取締役や代表を歴任、09年にコニカミノルタホールディングスの社長に就任。14年にはコニカミノルタの取締役会議長に就任。
「未踏の時代のリーダー論」(日本能率協会「編」:日本経済新聞出版社 出版より抜粋)
2003年に経営統合して誕生したコニカミノルタ、創業事業から撤退し、事業構造の変革を断行。
いまや情報機器や産業用材料、光学システム事業を主力とするグローバル企業に生まれ変わった。
この変革をリードしてきた「ビジネス・アスリート経営」とは──。
私は1976年に当時の小西六写真工業に入社しました。後のコニカは1873年創業の老舗で、写真フィルムやカメラメーカーとして成長しました。一方のミノルタは1928年創業でドイツ人の協力の下、カメラの完全国産化を成し遂げました。この両社が経営統合して、コニカミノルタとなったのが2003年です。初代社長にはコニカの社長だった岩居文雄さんが就任し、2006年にはミノルタの社長だった太田義勝さんが二代目を継ぎました。私は太田社長の時代から3年間、取締役兼常務執行役として全社技術戦略担当、いわゆるCTOに就き、2009年に前任の太田さんからバトンを受け取り、社長およびCEOに就任、14年まで5年間務めました。
この5年間は激動の時代で、太田前社長の下で私も主体的に加わって3カ年の中期経営計画を策定したのですが、2008年秋に起こったリーマンショックで前提条件がすべて吹っ飛びました。世界経済の先行きが見えなくなり、わが社も打撃を受けて、2009年度から2年間は1年ごとの計画しかつくることができませんでした。というのも、翌2010年にはギリシャに端を発した欧州債務危機が起き、欧州でのビジネスの比率が高かったために大きな影響を受けたからです。さらに、国内では2011年に東日本大震災が発生、サプライチェーンが寸断されて生産が一時できなくなりました。翌年にはタイの洪水です。タイに進出していた日本企業から部品を購入していたため影響を受けました。さらに、この年は円高が進み、業績が悪化しました。
5年間のCEO在任中で、「普通の状態」だったのは最終年度の2013年だけでした。次々に起こる問題に対応しながらも、将来への布石を打つことができたのは、就任前から社長としてなすべきことを考え抜いて、「コニカミノルタを持続的に成長できる会社にする」とミッションを定めたからです。さらに目指すべきビジョンとして「足腰のしっかりした、進化し続ける企業」「社会から支持され、必要とされる企業」と決めました。これらを社員と共有し、私の判断や行動の原点として、ぶれないように進めてきたのです。
経営トップは長期のビジョンや会社をどのようにしていきたいのか考え続けなければなりません。なぜなら、企業とはトップが思う以上のものにはならないからです。もし私が就任時に規模を2倍にしたいと思えば、そうなったかもしれません。しかし、同業の上位3社と規模で張り合うつもりはありませんでした。同時に、上位3社と同じような事業を小さな規模で行うミニ版になるつもりもありませんでした。そうではなく、わが社独自の競争戦略と成長戦略を進めると決めたのです。
小が大の中で生きるための戦略とは具体的には、「ジャンルトップ戦略」です。成長が見込める領域を特定し、そこにリソースを集中してトップを目指す戦略です。太田前社長が就任した2006年にわが社はコニカ、ミノルタの創業事業である写真フィルムとカメラ事業から撤退しました。太田さんはA3カラー複合機でナンバーワンを目指すという戦略を立て、それがジャンルトップの始まりとなったのです。
私はジャンルトップ戦略をもっと徹底し、複合機以外の商品や、情報機器事業以外の事業に対してもジャンルトップの対象を決め、全社に「トップを目指そう!」と号令をかけました。その結果、A3カラー複合機では世界42カ国で1位、2位のトップ争いをするようになりました。企業内印刷部門やプリントショップで主に使われるカラー・プロダクションプリンターも世界52カ国でトップ争いをするようになりました。また、テレビやスマホのディスプレイの色を計測する光源色計測器は世界ジャンルトップ、液晶ディスプレイ用視野角拡大フィルムもトップクラス、超音波画像診断装置も整形領域で国内ジャンルトップとなっています。
この結果、企業風土も変わってきて、社員のモチベーションも上がり、同業他社に負けたくないという競争風土が生まれてきたのです。以前は、上位3社と同じような品ぞろえを目指すフォロワー体質がありました。私が技術戦略担当のCTOだったとき、写真フィルムの製品開発部門から移籍してきた技術者に「なぜ、このテーマを選んだのか」と質問したことがありました。すると、「業界上位のA社がやっているからです」と答えたのには、私はびっくりしました。A社が先行しているのに、いまから始めても勝ち目がないのは目に見えています。フォロワーであることに慣れていたこの技術者にとって、A社がやっているテーマだから安心できるという感覚だったのでしょう。
いまでは、ジャンルトップを対象として製品に関わっている社員たちは「同業他社より早く顧客のニーズをつかみ、より早く製品化して、地位を確立しよう」と行動するのが当たり前になってきました。間接部門の社員たちも担当する業務の中でトップを目指す対象を決め、行動するように変わりました。ダウ・ジョーンズの持続性評価の上位にランクされ、またスイスのロベコ・サム社のESG(環境・社会・ガバナンス)投資分野の格付けで日本企業では5社だけの「ゴールドクラス」にも選定されました。「日経スマート・ワーク2018」でも大賞に選ばれるなど国内外でさまざまな評価や賞をいただきました。社員の意識や行動が変わったから、こうした成果を得ることができたのです。
わが社は現在、世界約50カ国にグループ拠点と、約150カ国に販売・サービス体制を持ち、売上の80%以上は海外で、世界に約200万社のお客さまがいます。約43000人のグループ従業員の70%以上は海外国籍です。そこで、世界中の社員と価値観を共有しようと考え、私がCEOの最後の年に世界中から募集して、「6つのバリュー」に集約しました。
私はこの中で1つだけ付け加えました。それは「Inclusive」です。〝排他的でない〟という意味ですが、イノベーションを起こすには違う考え方や国籍の違う人を排除してはならないからです。日本人は同質の仲間とはコラボレーションできますが、それだけではいけません。異なるタイプの人材を積極的に迎え入れてこそ、そこに革新が生まれます。
バリューを唱えるだけでなく、イノベーションを生み出すための仕組みもつくりました。イノベーションを偶然の発見や1人の天才に頼っていては非効率であり、イノベーションにもプロセスが必要です。2011年当時、シリコンバレーでも同じ問題意識があって、効率的なイノベーションを起こすプロセスづくりに取り組んでいたので、シリコンバレーに社員を派遣し。現地で調べ、参考にしながら、わが社独自のイノベーション・プロセスを構築しました。
コニカミノルタが持つ技術から発想するのではなく、最初は世の中が困っていることは何か、つまり「顧客価値」から考えます。解決するべき課題が見つかったなら、どうしたら実現できるか、自分たちの技術で可能か、あるいは他社や社外とのコラボレーションによるオープンイノベーションが必要か、「技術開発課題を検討」します。次に、それをどのようなビジネスにするか仮説を立てます。仮説が完璧でなくてもいいから仮説をもとにしてプロトタイプをつくり、実際にお客さまに見せて使ってもらって反応を確かめます。このように「仮説を検証」し、検証結果をもとに顧客価値、実現手段、ビジネスモデルを再度検討します。このサイクルを回しながら完成度を高めます。技術はあくまでも差別化の手段であり、目的ではないということを明確にすることが重要です。
そして、スピーディーにこのイノベーション・プロセスを回していかなければなりません。何が正解なのか誰もわからないのですから、何事も決めつけず仮説を立てて確認するのです。これは、まさにシリコンバレーなどのスタートアップ企業が実践していることであり、わが社も同様のやり方を取り入れました。このプロセスを活用するようになって、実際にイノベーションが起きるようになりました。例えば、光学事業では、従来、家電メーカーを主たる顧客として、デジカメや携帯電話用のカメラレンズを製造販売していましたが、韓国や台湾の追い上げがあって、ビジネスモデルを変える必要がありました。そこで、社会課題から考え、高齢化社会と介護の問題に焦点を当てました。今後、介護者を必要とする人が増える中で、介護従事者の負担が大きく、担い手も少ない。それならば、その負担を減らすために、わが社の光学技術、つまりカメラやセンサーなどのデバイスを活かすことはできないかを検討したのです。
2016年から事業化した「ケアサポートソリューション」はイノベーション・プロセスによって生まれたものです。これは、介護施設などの入居者をセンサーで監視し、起床や離床、あるいは転倒や転落なども含めて正常でない動作があったら、映像と共に介護者のスマホに通知し、介護者が駆けつけるかどうかを判断できるというシステムです。ある施設では従来、介護者が定期的に巡回しなければならず、ナースコールもひんぱんに鳴りましたが、ケアサポートソリューションの導入で30%負担が減りました。しかも、システムには簡単に介護日誌を作成できるスマホアプリもあるので、これも負担減に役立っています。
実は当初、介護を受ける人のソリューションを考えていたのですが、うまくいかなかったので、メンバーが介護施設に張りついて真の課題を発見し、検討し直しました。課金方法も設置料はいただきますが、基本的にサービスメニューによる課金で、デバイスを売る従来のビジネスモデルから大きく変わりました。
ここまで、わが社が変わることができたのも、コニカとミノルタの統合を推進した岩居・太田両社長の問題意識と危機感、そして変革への強い意志があったからです。リーマンショック後に私が社長に選ばれたのも、会社が変革を求めたからです。売上が急減する中で、本来であれば数字をきっちりとつくれる安定型の人材が選ばれてもおかしくありませんでした。しかし、太田前社長は「松﨑は変革を進められる人間だ」と推薦してくれたのです。
これまでの会社人生を振り返っても、私はサポートしてくれる上司に恵まれてきました。私が課長時代、アメリカのある大手プリンター会社と協業するチャンスがありました。相手は世界的な大手なので、わが社に関心は持ってもらえないだろうと社内ではあきらめの声が強かったのです。ですが、私はこの会社の技術力・販売力だけではなく、品質に対する考え方などにも共感していたので、きっとプラスになるはずだと思ったのです。上司も任せてくれたので、なんとしても手を組もうと食らいついていくと、プリンターの定着機能に関する1つのスペックを求めてきました。実はそのとき、そのスペックに応える技術は完成していなかったのですが、できると約束して契約を取ってきました。その後苦労もしましたが、それでも上司は文句一つも言わず、技術者の協力も得て実現できたのです。結果的にはその会社から品質管理の考え方や手法、ユーザーインターフェース設計など多くを学び、後のカラー複合機に活かされました。
こうしたことができたのも、絶えず「どうしたら会社がよくなるか」と考え続けていたからだと思います。会社をよくしたいと思う社員は多いのですが、ほとんどの場合、居酒屋などで「だからうちはダメなんだよ」と上司やトップの愚痴を言うだけで終わってしまいます。これでは、思いが建設的に使われないわけです。私も入社後しばらくはそうでした。問題意識は持っていましたが、酒の席の愚痴で終わっていました。
問題意識が同じでも発想がネガティブになると、結果はうまくいきません。こうしたほうが会社はよくなると思ったら、建設的に実行すればいいのです。失敗するかもしれませんが、命まで取られるわけではありません。しかし、やり過ぎると上司からにらまれるので、二の足を踏んでしまう人が多いのでしょう。私も若い頃は失敗続きでした。それは、成功したいという強い気持ちがなく、成功する姿をイメージできなかったからでしょう。
世の中には頭がよくても結果を出せない人がいます。結果を出せる人との違いは、自分のことだけを考えているか、会社や世の中のことを考えているかの違いでしょう。それは人生観にも関わってきます。私は企業人として、どうしたら世の中をよりよくすることに役立てるかを考えてきました。そのことに気づいてからは、困難に直面しても周囲に助けてくれる人が現れるようになり、結果を出せるようになりました。
自分の職場だけでなく、広い視野で物事を見て、会社をよくするにはどうするか考えてきました。そのため、自分の役職より1つ2つ上の視点から判断するようになったのです。私が部長になったとき、上司の取締役から「お前、最近貫禄が出てきたな」と言われたことがあります。それも、現在のポジションより上の立場で考え、準備していることを上司が見抜いたからでしょう。
コニカとミノルタの統合前、コニカの開発部長の職にありました。そのとき、今後、厳しい競争の中でコニカのリソースだけでは生き残るのが難しいと考え、「ミノルタと一緒になればやっていける」と当時専務だった岩居元社長に話したことがあります。その数年後に統合が現実になったわけですが、私の一言も多少後押しになったかもしれません。
これからリーダーになる人には、目の前の仕事だけをしていてはダメで、1つ上のポジションに立って考え、行動してほしいと思います。自分で目標を定め、自分も会社も能力を高めて成長し続ける。そのためにはフィジカルとメンタルの強さを併せ持つ「ビジネス・アスリート」を目指し、その集合体としての会社もビジネス・アスリート経営を実現してもらいたいと思います。
最後に次の世代の経営者に言いたいことは、ミレニアル世代など若い人たちの価値観や考え方に耳を傾け、積極的に経営に取り入れてほしいということです。これからの経営者は、ファイナンス頭脳とITリテラシーがなければ、世界で戦えないでしょう。そして、活力ある日本にするためには、経営層にも変革が必要であり、若い人たちは役職にかかわらず、どんどん経営層に向かって発信するべきなのです。
タグ:製造業
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